22, February, 2013
明治45年(1912)、イエズス会は上智大学設立のために紀尾井町に土地を購入した。
この土地の売主の一人、高島氏の邸宅であったのが現在のクルトゥルハイムだ。
子爵の爵位を持つ華族で、陸軍大将も務めた高島氏が明治29-30年(1886-97)に建築した。
この建物は関東大震災や第二次大戦中の空襲でも被災を免れ、今や大学構内に現存する唯一の明治期の建築物である。
「クルトゥルハイム」と呼ばれるようになったのは昭和になってからであるが、その名称の由来はドイツ語で、”文化”を意味するクルトゥルと、”館”をするハイムとを合わせたものだそうだ。
その名のとおり、クルトゥルハイムはこれまで文化の館としてカトリック文化を継承してきた。
全てを見守って来た由緒ある柱時計は、今も入口のホール中央で穏やかにに時を刻んでいる。
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